きれいな舞台と汚い現実

* きれいな舞台と汚い現実 *

白田 秀彰

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年末から新年にかけて新しい情報機器が関係した自殺事件や殺人事件が続きました。私としては、とくに伝言ダイヤル殺人事件について、とてもがっかりしてしまいました。短絡的なマスコミは「さあ、インターネットと伝言ダイヤルを規制だ」「警察が監督しなければやっぱり駄目だ」というような、信じられないほど馬鹿げたことを言い出してます。何よりもまず、テレビ局に配属警察官を常駐させた方がマシだと思うのは私だけではないでしょう。

自殺事件と殺人事件は違った面を持っているので、個別に検討してみましょう。

自殺事件については、報道されていることから推測する限り「自殺同好会の青酸カリ共同購入事件」と整理します。もし不謹慎だと思われる方がいらしたら、ここで謝っておきましょう。大変残念なことですが、世の中にはいろいろな理由で死にたいほど悩んでいる人が常にいます。そうした人たちが新しい情報機器を手に入れれば、いつか自分と同じような人たちがいることに気がつくのは簡単なことです。

そうしますと、初めて体験することについては、いろいろと事前に知りたいでしょうし、ひとりで旅立つのが不安ですから、共に旅立つ人を求めるのもまた当然です。すると、一種の倶楽部のような状態になるのは、話題の種類を問いません。それが自殺であっても、その人が強く必要としているなら立派に話題になるわけです。そういう人がたくさん集まりますと、その中は青酸カリなども手に入るような職業についていたりする人がいるわけです。そこで共同購入というような話に展開するのは、これまた自然なことです。

さて、上記の展開は目的を入れ替えてしまいますと「コンピュータ同好会のCPU共同購入事件」とか「アニメ同好会の同人誌共同購入事件」と同じことになってしまうわけです。だから、これは手段が問題であったのではなく、目的が問題であったと判断するのが正当な判断です。死にたいほど悩んでいる人がいるのに、誰も助けてあげなかったのは何故か、自殺ホームページがあるのが判っているなら、なぜ語りかけて考えを改めさせようとした人がいなかったのかについて考えるべきです。

殺人事件については、本当に残念に思いました。20歳を過ぎた成人の女性が、誰とも判らぬ男性の車に同乗して薦められるままに薬物を口にするということ。「信じられない」と思われた方も多いでしょう。犯人の男性を糾弾するのは、まず当然として、被害者の女性について「常識がない」と批判することもまた必要でしょう。死者に鞭打つのは不道徳なことですが、ここで彼女たちを批判し、彼女たちを殺した人たちを批判しないことには、また別の人が亡くなることになります。

日本は「劇場国家」です。「お約束の国」といっても良いです。私の目から見れば、西欧諸国よりはずいぶん北朝鮮に近い印象を受けます。すなわち「きまりごと」「きれいごと」を舞台の上で表の顔にし、舞台にうまく載らない諸事は奈落に隠してしまう国家ということです。

学校はきれいごとの体系です。偉い人達は社会の「汚いこと」を学校に入れてはならないと指導します。女性に薬物を飲ませて性的乱暴をするような人が世の中にはウヨウヨいることを教えてくれません。学校の先生が女生徒に乱暴する時代ですから、実は反面教師として生徒はみんな気がついているとは思いますが。だから「教師に反抗的な子」のほうが「教師に従順な子」よりもずいぶん安心だという事ができますね。

マスコミもきれいごとの体系です。本当に危険なこと、本当に重大なことがしばしば隠されていることは、まともな批判力を持っている人なら当然に気がついているはずです。さらに悪いことは、彼らは商売として言論を売っている、ということです。彼らの金銭的利益になることなら、どんなに歪曲された情報でも平気で流します。

家庭もまたきれいごとの体系になってしまっているようです。子供たちは両親に自分が直面している「汚いこと」について相談する事ができません。また両親もそうした「汚いこと」に関わりたくないのです。だいたい「不倫」が流行になるような時代ですから、両親が子供をまともに教育できるはずがありません。朝早くから夜遅くまで会社に拘束されている父親など、社会のことを一番知らない人種だと言ってよいでしょう。会社のことなら知ってるかもしれませんが。

子供たちは、「汚いこと」に対応する処世術を、仲間やマンガやテレビから学ばなければなりません。そうした論争を排除した情報源から得られる知識は、商業主義と堕落で歪曲されていますから、残念なことに、だいたいの場合「悪いこと」を覚えて悪い仲間になってしまうのですね。それさえもできなかった子達ができあいの空想や妄想の世界に逃避して、狂信的カルトの土壌を作ります。推測に過ぎませんが、自殺された人たちのかなりの部分は、教えられてきた「きれいごと」の世界と「汚い現実」の落差にひとり茫然として足がかりを失ったような人たちだったのではないかとも思います。

私も学者のはしくれですから、自分の専門の世界の外で何が起こっているか、メディアなしでは知りえないほどの世間知らずです。それでも現実の混沌をそのまま反映したインターネットのおかげで、「世の中にはこんなヘンな人もいるんだ」ということを嫌というほど知る事ができました。しかもディスプレイという窓の外から安全に。たとえば、昔から「若い女性は性的暴行にあいやすい」と男女差別的なことを考えていたのですが、インターネットの「未成年に有害な情報」のおかげで「若い男性もまた性的暴行にあいやすい」「いや、俺だって危ない」とわかり差別的意見を修正することができました:-)。自分の息子や娘には、こういう知識をもとに危険回避を指導するつもりです。

さて、こうした「飼い慣らされた羊」が安心して暮らせる国家を目指すなら、あちらこちらに牧羊犬を配置して、羊飼達が狼やその他の肉食獣から彼らを護らなければなりませんね。日本は基本的にこうした「安心して暮らせる国家」を理想としているようです。できる限りたくさんのお巡りさんが私たちを護って欲しいと願っているみたいです。お巡りさんにとっても嬉しい意見でしょう。でも、本当は私たち自身が、自らの問題について処理するだけの能力を備えるべきなのではないでしょうか。私はそのためには、まず「知る」ことから始めなければならないと思います。知ることは判断の基礎だからです。

日本では悪い情報を禁止して隠してしまうことを好みますが、悪い情報に対しては、それを批判し敗退させるだけの、よりしっかりした説得力のある良い情報で対抗するのが本筋です。残念なことに、世の中には、説得力のある良い情報まで隠してしまおうとする傾向さえあります。そもそもまともに議論を戦わせること自体を「和を乱す」として退けていたりしないでしょうか。

なんとなく薬物を飲み下した女性を誰が殺したのでしょうか。

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Return 白田 秀彰 (Shirata Hideaki)
法政大学 社会学部 助教授
(Assistant Professor of Hosei Univ. Faculty of Social Sciences)
法政大学 多摩キャンパス 社会学部棟 917号室 (内線 2450)
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