電気館奇譚

* 電気館奇譚 *

白田 秀彰

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「さっきねえ、お友達が訪ねてきたけど、手紙をおいてすぐにおかえりになったよ。」

下宿に戻ると、おばさんが勝手から声をあげた。

「はあ、わかりました。どうもありがとう。」

わたしは、たたきで靴を脱ぎ、玄関から直に続くひんやりとした午後遅い静かな階段を注意深くあがった。多くの下宿生の往来で磨かれた木階段は滑り易く、羊毛の靴下を履いている私は、踏みはずすことが良くあったからだ。暗い廊下の端が私の部屋だ。菱形の硝子窓の付いたドアを引いて電灯を付けると座卓の上にくだんの手紙があった。

「新型無線機完成したが、不明のことあり。深夜電界安定の頃、来室されたし。」

私は、手紙を一瞥すると、火鉢の灰に埋めておいた火をおこしながら、炭をつぎ足した。

「吉川君か。彼の新型受信機はもう12、3台目だなあ」

私は書棚に置いてある、彼から安価にゆずってもらったラヂオに灯を入れた。ダイヤルの窓が緑色の仄な灯りに照らされて、ふるふると揺らめいている。電源の電圧が安定していないのだろう。赤い光帯を左右に微妙に移動させて、AKに周波数を合わせた。クライスラーの「美しきロスマリン」が流れてきた。

吉川君は、電気科の学生で、日夜を問わずラヂオの研究にいそしみ、その卓越せる工作技術で誉れ高く、知人隣人からラヂオを受注しては、ラヂオを組み立て、生活費にあてるほどの腕前だ。それで大学の学生であるけれど、すでに一軒屋に一人暮らしして「電気館」とあだ名するほどである。その彼が「不明のこと」として、天文科の私に連絡してくるとは、どういうことだろうか。

ラヂオの電波の現象は、天文学とも無関係ではない。遠く上空の電離層は、電波を反射し、しばしば冬の深夜驚くほどの長距離通信を可能にするし、太陽の黒点の増加は、太陽からの電波と連動しており、通信障害の原因となる。また、私自身の研究においては、可視光線による天体の観測だけではなく、遠く宇宙のかなたから振り注ぐ電波を観測することで、可視領域外の天体の様子を明らかにする事を考え続けている。電波天文学ということになるか。そういった縁から、私は、大学一のラヂオ巧者、吉川君と親しく付きあっているのだ。

私は、三越輸入部にて購入してきた独逸の新しい電気科学の洋書を紙袋から取りだし、電気ランプの灯りのもと、火鉢を片手に読みはじめた。私は電波天文学において、宇宙から放射される電波の方向を正確に測定するための方法を探していた。現在のループアンテナやコイルでは、中長波の検出には十分であったが、電波の方向性を検出するには、不都合であった。ある方向からくる電波のみを強く感受する形式のアンテナが必要であった。

茜色の夕闇が硝子窓を染め、階下の食堂から夕食の匂いがしてきた頃、私もくたびれて、洋書から目をあげた。そのとき、ふと先日の古屋教授の講義の内容が頭を過った。

「電波には波長があるが、その波長が短くなるほど、電波には直進性が現れ、その性質は光に似てくる。すなわち、反射の性質が強く現れるのである。」

電波と光の性質が似ているとすると、それは凹面鏡や凸面鏡のような金属の道具をもちいて光と同じように取り扱う事ができるのではないか、とふと思い付いた。そこで、今夜吉川君宅を訪問するにあたって、彼にこの着想についての意見を求めようと思った。

夕食の時間となり、私は電気ランプを消して、ギシギシと音を立てる冷たい廊下を階段へと向かった。階段隅の田中君の部屋には灯りが付いていた。私は彼の部屋のドアをノックした。すると、チャイコフスキのコンチェルトがかすかに聞こえていたのが静かになり、ドアがあいた。かすかに麝香の匂いが漂った。彼はモボを気取って、しばしば英国の香水を付けているのだが、私はあまりその匂いが好きではなかった。開いたドアの隙間からは、机上の幾冊かの洋書と原稿用紙が見える。提出論文の執筆中であったのだろう。

「やあ、もう食事の時間だ。下におりないか。」

と私は声をかけた。彼は、半天を肩がけにして何やら書いていたが、そのまま顔をあげず 「すぐに下りる。」

と返事し、つづけて思い出したように

「君は科学について専門家であるが、空想科学小説については、興味あるかな。」

と尋ねてきた。そしてやおら立ち上がると、彼自慢の文庫のすみから雑誌を半分だけぬき出しながら、表紙を確認し、何か探しはじめた。

「非常に愉快なものではあるが、貴重な学業の時間を潰すまでのものではないだろう。」と私。

「いやいや、馬鹿にしたものではないぞ。現にジュール・ベルヌ氏やチャペク氏の小説で空想の道具として紹介されたものが、現実になりつつあったりするではないか。天文学の君には興味あるのではないかとおもって、今月号の『空想科学』を買ってきてあったのだ。宇宙の果ての生物についての記事だ。」

彼は一冊の雑誌を書棚からぬき出すと、ぱらぱらと捲った。

「機械ならば、空想科学の記事でも、着想として人間の発明を助けるが、宇宙の果ての生き物については、人間の努力などによって及ぶところではないから、あまり意味はないよ。」

「まあ、そう言わずに、読んでみたまえ。」

田中君は、そう言うと私にけばけばしい口絵の付いたその雑誌を渡してくれた。表紙をみると足の長いタコのような「宇宙人」が星空を背景に3人描かれていた。私達は、滑りそうになる暗い階段を下りて食堂へ向かった。

油でべたつく感のある椅子を引いて食卓に就くと、果たして献立は酢豚であった。勝手の方では、下宿屋のおばさんが格子の割烹着の背中を向けて一心になにか作っている。おばさんは、上海で若い頃をすごしたため、中華料理が得意で、しばしばそうした献立を立ててくれる。味も街の中華料理屋などよりも上手にまとめるのであるが、量を食べる下宿生達を安い費用で満足させるために、材料は余りよくなかった。今日の料理も、肉がかなり硬く、私達はかなり噛みきるのに難儀したのであった。食事が終わる頃には、生来胃の弱い私は、胸の支えを感じた。

夕食の後には、田中君の部屋の、これまた彼自慢のトーレンス電気蓄音機でメンデルスゾーンを聞きながら、雑談をしたり、件の『空想科学』誌の宇宙人の記事について、語らったりしながら、時間を潰した。田中君は、青い外箱の外国煙草の紫煙をゆったりと吐き出しながら、いろいろと宇宙人の様子について空想をめぐらせるのであるが、私は、それをいちいち天文の知識で潰していくので、彼はいたく意地になって、私に質問した。

「火星には運河があるというではないか。」

「あれは、火星地表の地形が運河のように見えるだけで、人工物ではないということだ。」

「君は行ってみたのか?」

「火星にまで行くことができるわけはない。無茶なことを言うな。」

「では、それが運河であるかどうかは、まだはっきりしたわけではない。」

「それは、そうだが。」

私は、下宿のおばさんが作ってくれた酢豚がすこし胸につかえるような感じがしていた。むねやけだ。タカジアスターゼを飲んでおかなくては。

田中君は、 「君の得意の電波天文学で、宇宙の色々の方向を探る内には、きっと宇宙人からの電波通信を受けることになるに違いない」

と、炭火を火箸で持ちあげ、煙草に火を付けると、遠くを眺めるような目で言った。

「そういうこともいずれあるかもしれないが、それは宇宙人からの電波でなく、遠い宇宙で星が生まれたり、壊れたりするときの電磁波にすぎないよ。」

「星のようなものが生まれたり、壊れたりするならば、宇宙に、人語を解する命がいても不思議ではあるまい。」

わたしは、彼の文科系的議論にいささかうんざりしたので、 「吉川君が新型無線機について、私に紹介したいことがあるそうだ。だから、そろそろ「電気館」へ行くので失礼するよ。」

と田中君の部屋を辞そうとした。すると、 「なに。吉川君の新型無線機。僕も一緒してかまわないかな。」

と田中君までやってくるようなことをいう。しかしまあ、拒絶する理由もないので一緒することにして、私は胃薬を飲むため、先に階下の台所へ下りた。

流しで湯飲みに水を汲もうとして、ふと、流しをみると酢豚を作った中華大鍋が置いてあった。私は、みるみる頭脳に血液が集中するのを感じた。

「そうだ!!中華大鍋は、電磁波を反射する鉄でできており、また、凹面鏡を構成している。この大鍋の中心軸上に、電波が集中する一点がある。そこに受信極をおけば、凹面鏡の向いた方向からの電波のみを強力に感知できる!!」

私は、まだ洗っていない大鍋を亀の子タワシでゴシゴシと洗うと、そのまま持ち出した。濡れた大鍋からは、ぽたぽたと水が落ちて、板張りの床にしみを作った。淡い白熱電球で照らされた下宿の玄関では、田中君が黒い外套にソフト帽で待っていた。彼は、私が片手にしている中華鍋をみると、 「なんだいそりゃ。鍋なんか持ち出すとおばさんに叱られるぞ」

と笑った。

「吉川君に中華大鍋凹面鏡アンテナを作製してもらうつもりだ。これは、電波天文学に革命を起こすぞ。」

と私は意気込んだ。田中君は、 「宇宙人は信じないが、中華鍋革命は信じるのだな。滑稽な奴だ。」

と微笑んだ。私も玄関でキャメルの外套を羽織ると、引き戸を出た。帝都の冬空は、雲一つ無く、金剛の砂を撒いたような星が漆黒の闇に浮いていた。私は、途すがら、中華鍋をマゼラン星雲やアンドロメダ星雲に向けると、この中華鍋の凹面鏡構造がいかにして、宇宙のかなたからの電波を効率的に受けられるかについて田中君に聞かせるとも、一人語とも付かぬように説明した。 田中君は、聞くとも聞かぬとも知れぬ様子で、時々肯きなから歩みを進めた。

樹木が溢れるように茂っているのを押しとどめるような大学の長い壁に沿って、しばらく歩くと、坂下に吉川君の「電気館」が見えてくる。星空に気味悪く浮かぶのは、太古の巨大魚の骨のような奇怪な形のアンテナ群だ。まったく彼の邸宅は、電線につつまれた観がある。窓の灯りは煌煌として、私達の到着をまっていた。やや重い洋風のドアを開けると、つんとフラックスの匂いが鼻をついた。私は玄関で呼ばわった。

「ごめん。中嶋だ。吉川君。参上したぞ。」

私が呼びかけると丸い金縁眼鏡に人なつっこい笑顔で、吉川君がどたどたと現れた。毛の長下着に厚い半天を羽織った格好だ。彼は非常に毛なみの硬い男なので、短髪が逆立っているように見える。

「やあやあ、待っていたよ。もうよい頃だ。さっそく研究室に上がり給え。おや田中君も一緒だね。こなあいだは、おもしろい小説をありがと。まあまあ」

とかなんとか、彼らしい早口でまくしたてながら、彼は、私達が外套を脱ぐのももどかしい様子で、彼が研究室としている二階の 12畳ほどの洋間に私達をひっぱっていった。しんと静まった電気館の研究室は、多数の真空管の発する熱で部屋は暖房もないのに、ほの暖かく、ブーンと低くハムのうなりが聞こえた。フィラメントの灯りが、薄暗い部屋のすみでともってると、何やら、そうした真空管たちから見つめられているような気がする。ときどき、思い出したように、コーンスピーカーからジリジリという雑音とも、人間の声とも付かないような音が聞こえてくる。私達が、研究室の中央にしつらえられた作業台の横の椅子に腰かけて、いつもながら不可思議珍妙な機械に埋まった、彼の部屋をしげしげと眺め回した。彼は茶を準備する、と言い残して階下に消えた。

「田中君。いつ来てもすごい部屋だな。大学の研究室でもここほどではあるまい。」

とわたしが漏らすと、田中君は、怪しげな音を発している重そうなレシーバーから耳を離して、 「ああ、まったくだ。空想科学に出てくる狂人博士の秘密工房のようだ。」

と返事した。下手に動くと高圧電流で感電するような気がして、私達は、じっと椅子に腰かけたまま、主人の再登場を待った。どたどたと階段を上がってくる足音がして、吉川君が番茶とせんべいを盆にのせて現れた。

「実はねえ、新しい受信機で実験していたら、奇妙な電波を受信したんだ。それで中嶋君の意見を聞こうとおもってね。というのは、それは宇宙からきているというのだ。」

「宇宙からだってぇ?」

私と田中君は目を見合わせた。

田中君は、

「最近、逓信省からの報告で、イタズラ放送をする輩が増えている旨の記事が新聞に出ていた。そうした類のものではないのかね。」

と空想科学のファンにしてはいやに現実的な指摘をした。私も

「宇宙から電波が来ることはすでに観測されている事実であるが、それらは全て自然界の電波であり、何らかの人語が宇宙から来るはずがない。どこか地上からの電波であろう。」

と応えた。吉川君は、にやにやしながら、首をゆっくり左右に振った。

「いやいや、僕の開発した超指向性同調アンテナは、一つの方向からの電波を強力に受信するようになっている。そのアンテナが向いている方向は、全くの天頂だぜ。」

というと、指で真上を指して、くるくる回した。

「超指向性だって?」

私は床においていた中華鍋を彼の前に差し出すと

「僕もこの中華鍋を利用した凹面鏡方式アンテナを考案して君の意見を聞こうとおもっていたのだ。」

と興奮した。そして、吉川君に請うて鉛筆と紙を得ると、中華鍋アンテナの模式図を書いて、彼に説明した。かれはフンフンと聞いていたが、私の説明が終わると

「非常に良い着想だね。僕の超指向性アンテナは、電波の波長に共振させて電波を誘導するようにできており、中短波を誘導する導波器と反射器とアンテナ本体を組み合わせるようにできている。中嶋君の中華鍋アンテナは、この反射器の部分を強力にすることで、短波の指向性を強くしている。興味深い。一寸中華鍋の中心軸を計算して、新しく改良したアンテナをにわか作りしてみよう」

と言うや、中華鍋の直径と深さを計り、すぐに計算式を立てはじめた。

田中君と私は、すこしあっけにとられてみていたが、彼はひとしきり計算を終えると、中華鍋に真鍮棒を半田付けし、反射波が集まる軸上に彼の考案になる魚の骨のような導波器を取り付け、ものの15分くらいで新しいアンテナが完成した。彼は、長い導線を新型アンテナに接続し、するすると引っ張りながら部屋の反対側に移り、そこのベランダの窓をあけて私達を手まねきした。

「さあ、見ていなよ。この吉川・中嶋式新型アンテナは、殆どまっすぐ上、天頂をさしているな。」

と彼は、煉瓦でちょっとした台座を組んで、中華鍋を真上に向けて置いた。

「ああ、間違いなく真上を向いているよ。」

と私が返事すると、かれはニヤニヤ笑いながら、ベランダからぽんと飛び下りると、私達が就いている作業台の中央に置かれたやたらとコイルの多い小さな受信機に飛び付いて、パチンと電源を入れた。ブーンと低いハムのうなりが聞こえた。吉川君は、ボリウムとダイヤルを慎重にあわせはじめた。ざわざわと長波のラヂオ放送が入ったり、ザーザーという雑音が聞こえていたが、彼がダイヤルを短波の方に合わせて行くと、長波の放送は聞こえなくなり、ザーザーという雑音だけになった。

「中嶋君もよく知っているとおり、短波は指向性が強いから、指向性の強いアンテナを真上に向けていたら、なにも受信できない。もし、なにか聞こえてきたら、それは真上からやってきた電波ということになる」

と吉川君は言った。私は黙って肯いた。

しばらく雑音ばかり聞こえていたが、遠く町の方から、延長寺の鐘が「ゴーン、ゴーン」と聞こえてきた。気が付いて部屋の柱時計をみるとすでに深夜零時となっていた。相変わらず低いハムのうなりと、ザーザーという雑音だけが聞こえていたが、ふと、雑音が止まった。

「お、おい。」

私が、思わず声をあげると

「しっ。」

と吉川君は制した。

「これからはじまるんだよ。」

コーンスピーカーから何事か聞こえてきた。どうやら女性の歌声らしい。

「外国の短波放送が電離層に反射してるんじゃないか。」

と私が言うと、 「僕も最初はそう思ったのだ。しかし、君も知ってのとおり、超指向性アンテナは天頂を向いているのだ。電離層といえど天頂からは電波は来ない。」

と吉川君は返してきた。

「ふむ。」

私はしばらくかすかに聞こえてくる女性の歌声に耳を澄ませた。

「うーん。この歌声は、ホルストの『惑星』にちょっと似ているな。」

と田中君が言った。なるほど幽玄な女性のヴォカリーズが続いている。ひとしきり歌声が終わると、別の女性の声で何事か語りだした。吉川君が、微妙な手捌きでダイヤルを調整すると、ひとしきり音量が上がって明瞭になった。

「...の皆さん。私はスターシャ。マゼラン星雲の惑星イスカンダルの女王」

「おい。日本語じゃないか。一体誰が放送しているんだ?しかも、なんで「スターシャ」なんてロシア名をしているんだ?」

私は頓狂な声をあげてしまった。おまけにマゼラン星雲はいいとしても、「イスカンダル」とはなんだ?また何で女王なんだ?

この奇妙な放送は淡々と続く。

「...地球はガミラスの遊星爆弾の攻撃で放射能汚染が広がり、もはや助かりません。イスカンダルのコスモクリーナーを使うしかないのです。勇気ある人よ。イスカンダルに来るのです。そのために必要な波動エンジンの設計図は....」

田中君は黙って一心に聞いていたが、ついに声を出した。

「どうやら、熱心な空想科学のファンの女学生ではないだろうか。言っている意味は殆どわからないが、手の込んだラヂオドラマかもしれない。似たようなことは、アメリカでも「火星人襲来」というドラマでやったらしい。」

「なるほど。」

私は、納得した。

そこでまた別の興味が沸いてきた。

「この「スターシャ」さんは、なかなか奇麗な声をしているな。こんな手の込んだイタズラをするような、気の利いた女性だろうからどんな女性か興味あるな。」

すると待ってましたとばかりに吉川君が微笑んだ。

「いや、実はね。この不思議な女性の放送を毎晩聞くうちに、僕もこの女性のことに非常に興味が沸いてしまったのだ。そこで、この怪電波の発信元を探知したいのだ。でね。2箇所からこの電波を同時受信すれば、その方向軸の交点付近から発射されていることになる。その手伝いに中嶋君をたのみたくてねぇ。」

「そういうわけか。実に不思議かつ愉快な話じゃないか。是非ともしらべよう。」

私も興が乗ったので、快諾した。

不思議な放送はひとしきりメッセージを終えると、また女性のヴォカリーズとなった。そしてその歌声が消えると、別の軍歌のようなものが聞こえてきた。電界の様子が不安定になったのか、遽に雑音が増え、受信は不明瞭になった。

「僕も、この放送の発信元に興味をもったよ。僕も仲間に入れてもらいたいな。」

「それじゃ、三人で調べよう。考えてみたまえ。実に不思議かつ愉快な事件じゃないか。明日が楽しみだ。」と吉川君。

「でも、君の超指向アンテナも、僕の中華鍋アンテナも、役立たずだったみたいだな。だって、これだけ明瞭に受信できるということは発信元は近所だし、天頂からの電波でもないよ。別の指向性アンテナを考案しないと。」

と私は、ベランダで、夜空の中心を向いているアンテナを指して言った。

「うーん。そうだなぁ。また計算して、別な方式のアンテナを考えるよ。できあがったら、また連絡する。」

私達は、その不思議なラヂオドラマを聞きながら、明日からの計画を練って談笑した。冷めてしまった番茶とせんべいではあったが、若い三人の学生には楽しい夜食となった。そして私達は午前二時ころ「電気館」を辞したのであった。

後日談になるが、結局吉川君は、超指向性アンテナの開発をあきらめてしまった。どうしても、件の怪放送が天頂から発信された電波であるとしか考えられぬのだという。また、件の放送はそれから1月末まで続くと、受信できなくなったらしい。短波受信機を改良しようとしたら、全く受信できなくなったという。それまでは、なにか微妙な真空管の作用なりコイルの作用なりが曖昧に働いて、非常に遠くの放送を受信できていたのかも知れぬ、と吉川君は非常に残念そうに語っていた。私もせっかくの中華鍋アンテナの考案がどうも駄目らしいという印象を得たし、おまけに勝手に鍋を持ち出したことで、下宿のおばさんに小言をいわれてしまった。まあ、鍋自体は、弁償したからいいのだけど。

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白田 秀彰 (Shirata Hideaki)
法政大学 社会学部 助教授
(Assistant Professor of Hosei Univ. Faculty of Social Sciences)
法政大学 多摩キャンパス 社会学部棟 917号室 (内線 2450)
e-mail: shirata1992@mercury.ne.jp